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朴英俊 (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朴英俊
生誕 1915年11月1日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京畿道坡州市
死没 (2000-03-27) 2000年3月27日(84歳没)
大韓民国の旗 大韓民国京畿道盆唐区
所属組織 韓国光復軍
大韓民国陸軍
最終階級 副領(光復軍)
少将(韓国陸軍)
墓所 国立ソウル顕忠院愛国志士墓域217号
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朴 英俊(パク・ヨンジュン、박영준)は日本統治時代の朝鮮独立運動家であり大韓民国軍人企業家

経歴

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1915年11月1日、京畿道で朴賛翊の三男として生まれる。本貫潘南朴氏[1]

1939年、韓国青年戦地工作隊で活動。1941年12月、中央陸軍軍官学校特別訓練班交通科第17期卒業。光復軍第3支隊で活動。

1943年、申順浩と結婚[2]。同年8月、光復軍庶務科科員。1944年、韓国臨時政府財務部理財科長。1945年、光復軍第3支隊第1区隊長。終戦後、開封地区特派団団長。1946年に臨時政府駐華代表団東北総弁事処(処長:李光、副処長:金学奎)外務主任、翌47年に長延区民主自衛軍(長:李逸泰)歩兵独立総隊副総隊長となる。

1948年2月頃、帰国。翌年、陸軍士官学校第8期特別第4次任官[3]、任少領[4]。政訓兵科分野の基礎を固めた。1950年、国防部政訓局調査課長[5]。1950年11月25日、陸軍本部政訓監(大領)[6][7]。1952年、陸軍歩兵学校卒業。1953年、韓国軍捕虜説得委員長兼任[8]。同年5月4日、任准将[9]。1954年7月16日、陸軍本部調達監[10]。第5軍団副軍団長。1955年、陸軍大学卒業。1956年、第39師団長(2代目)[11]。1959年6月、国防研究院を卒業して第6軍団副軍団長[12]。1960年7月、第9師団長

1961年6月に予備役編入後、韓国電力設立委員会委員長、韓国電力会社社長となる。

1963年6月、五月同志会中央委員。1965年11月、韓・米技術協会会長。1966年10月に国際動力会議の為来日。1967年7月、ソウル商工会議所特別委員。8月、大韓商工会議所特別委員。1968年2月、電力会社社長辞任。6月、電気業界視察のため来日。電気協会会長。1971年、恵仁重機代表理事、援護奨学会理事長。1972年、光復軍同志会会長、大宗教理事長。1974年、ソウル証券社社長。1977年、韓中文化協会会長。建国勲章独立章授与。1985年、独立有功者協会会長。

2000年3月27日、老衰で死亡。

2015年6月7日、京畿道博物館は朴英俊に授与された忠武武功勲章を「今月の遺物」に選定した[13]

出典

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  1. ^ (60)반남 박씨(潘南朴氏)-139,438명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月11日). 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ “독립운동가 박찬익 선생 유품 빛 본다” (朝鮮語). 京畿新聞. (2014年7月22日). http://www.kgnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=389685 2015年12月8日閲覧。 
  3. ^ 6・25戦争史 第1巻” (PDF) (朝鮮語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 333. 2016年11月18日閲覧。
  4. ^ “[삶과 추억 애국지사 박영준 장군”] (朝鮮語). 中央日報. (2000年4月1日). http://news.joins.com/article/3899009 2016年3月27日閲覧。 
  5. ^ 韓国精神文化研究院 編 (1983). 韓國獨立運動史資料集〔中國人士證言〕. 博英社. pp. 259 
  6. ^ 박동찬 2014, p. 103.
  7. ^ “다만 實力(실력) 決鬪(결투)의 段階(단계) 敵(적)의 人海戰術(인해전술) 封鎖(봉쇄)에 自信(자신)” (朝鮮語). 부산일보. (1951年1月30日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19510130000013 2019年10月24日閲覧。 
  8. ^ “(476)중립지대 안의 수용소(1)-인도군의 포로관리(1)” (朝鮮語). 中央日報. (1973年6月27日). http://news.joins.com/article/1350837 2018年7月8日閲覧。 
  9. ^ “元 少將, 中將으로” (朝鮮語). 부산일보. (1953年5月29日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19530529000020 2019年10月22日閲覧。 
  10. ^ 박동찬 2014, p. 104.
  11. ^ “昌原 第三十九師 師團長 更迭” (朝鮮語). 부산일보. (1956年7月6日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19560706000016 2019年10月24日閲覧。 
  12. ^ “政府人事” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月3日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590603000006 2019年10月22日閲覧。 
  13. ^ “경기도박물관, 박영준 '충무무공훈장' '이달의 유물'로” (朝鮮語). NEWSIS. (2015年6月7日). http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20150607_0013712623&cID=10806&pID=10800 2015年12月8日閲覧。 

参考文献

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  • 世界政経調査会 編『韓国・北朝鮮人名辞典 1979年版 上巻』世界政経調査会、1980年。 
  • 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201408070704130850.pdf 
軍職
先代
文履禎
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部政訓監
第3代:1950.11.25 - 1954.7.6
次代
金天經
先代
尹秀鉉
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部調達監
第4代:1954.7.6 - 1954.11.1
次代
崔慶男